ニューヨークは新年になってから、日中の最高気温が0度を超えるかどうかの寒い日が続いている。ホリデーシーズンを過ごした大勢のツーリストが帰った後のニューヨークだが、実は今は芸術の秋ならぬ「
芸術の冬」なのだ。まず、毎年この時期に全米の劇場関係者やパフォーマーが集まる「APAP」というコンベンションがヒルトンホテルを中心に開催される。エージェントやプロデューサー達が、街中で展開されるショーケースを見ながら商談をくり広げるのだ。また、こうしたVIPが集まるこの時期を狙ったシアターイベントもある。「
UNDER THE RADAR」というフェスティバルは、オフブロードウェイ劇場として名高いパブリックシアターと、日本文化の発信拠点であるジャパンソサエティ、前衛劇場として知られるラ・ママなどのコラボレーションで、世界中から集められた作品が集中的に上演される。既に今年も10日間に渡ってミュージカルや演劇など、気鋭の16作品が上演された。
その中でジャパンソサエティがフィーチャーしたのは、日本演劇界の天才、野田秀樹の
「THE BEE」である。原作は筒井康隆の短編「毟りあい(むしりあい)」。舞台の脚本は、野田秀樹がイギリス人の脚本家コリン・ティーバンと共に英語で執筆。出演する4人の俳優のうち3人はイギリス人だが、残る一人は野田秀樹自身だ。2006年、ロンドンでの初演が絶賛され、2007年の日本公演では数々の賞を受賞。今回もニューヨーク・タイムズなどのレビューで高い評価を得ている。
ストーリーは、脱獄犯に妻子を人質にとられたサラリーマンが、逆に脱獄犯の妻子を人質にとって立てこもり、互いが果てのない復讐合戦をくり広げる、というものだ。
開演前の幕の無いシンプルなステージには、中央にレトロなテレビのようなオブジェが設置されており、これから繰り広げられる物語の中心がお茶の間であることが分かる。開演に先だって流れていた日本の60〜70年代を連想する歌謡曲が突然止むと、いきなり男達がドヤドヤとステージに現れ、サラリーマンの「井戸」を取り囲む。妻子が誘拐されたことに丸1日気づかずに帰宅した井戸とテレビレポーター、警部らとの会話はスピーディーかつ軽妙でユーモラス。筒井康隆特有の、危機的状況を超越したドライな笑いの世界が全編を通して展開されていく。ところが、平和を愛する小市民として生きていた井戸は、やがて自分自身も知らなかった暴力的な本性に陶酔してしまう。芝居のテンポは急激にスローダウンし、最後にはその暴力が日常にとって代わってしまう。
ニューヨーク・タイムズのレビューでは、その変化を現出させる脚本と演出が素晴らしいと絶賛されていたが、同時にサラリーマンの井戸を演じる「女優(Actress)」も素晴らしい。そう、主役の男を女優が演じているのである。キャサリン・ハンターという、英国のオリビエ賞を受賞しているベテランだ。小市民から犯罪者への「変態」を見事な演技と肉体表現で演じ、観客の目を釘付けにする。逆に井戸が陵辱する脱獄犯の妻を演じるのが野田秀樹。男が女を演じることで、華やかさのない歪んだエロティシズムが溢れ出してくる。こうした男女の逆転も含め、芝居の至る所に2重構造の仕掛けがちりばめられ、観客は見事に井戸の歪んだ感情と精神のスパイラルの中に取り込まれてしまうのだ。
ところが、取り込まれた途端に芝居はあっけなく終わり、満員の観客は零下のニューヨークの街に放り出される。彼等の表情には感動とか絶賛とかそういう言葉では片付けられない、複雑な心情が浮かんでいるように見えた。人間の本性としての暴力が自分の中にも存在し、自分の日常をどれほど支配しているかを考えずにはいられない、そういう作品なのだ。野田秀樹はこの作品に関して、9.11からイラク戦争への報復の連鎖からインスピレーションを得たとコメントしているが、記者が感じたのは19〜20世紀前半まで戦争を繰り返した日本人としても、自分たちの民族の歴史を見つめるヒントになるのでは?ということだった。
「THE BEE」は、1月15日(日)までの10公演を大成功のうちに終えた。この後、ロンドン、香港とまわり、同じキャストでの東京公演(2012年2月24日〜3月11日 水天宮ピット)、さらに日本人キャスト(宮沢りえ他)での全国公演が続く。※詳細は
NODAMAP参照
(text by Megumi Sato photo by Romi Uchikawa)